日本最古の歴史書「古事記」編纂者、稗田阿礼「架空の人物か女性か」!? (1/3ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 百科事典の『古事記』の項を読むと、「日本最古の歴史書。序文および上・中・下の三巻からなり、神代から推古天皇までの古事を記録したためにそう呼ばれる」などと出る。

 その序文には成立に至る過程が詳細に記され、そこに稗田阿礼という人物が登場する。

 高校の教科書に「天武天皇が稗田阿礼に『帝紀』『旧辞』を誦み習わせ(この一文の意味は後述)、のちに太安万侶が筆録した」と記載されている人物だ。

 もう少し詳しく言うと、『古事記』の編纂は天武の時代に実現できず、ほぼ三〇年後の元明天皇(天武の皇子草壁の后)の治世に当たる和銅五年(812)になって、阿礼の誦んだものを安万侶が改めて筆録し、『古事記』が完成したという。

 こうして阿礼は、日本最古の歴史書編纂に関係した人物として記憶される一方、架空の人物説や女性説が提起され、日本史を代表する謎めいた人物の一人ともされる。その実像に迫ってみよう。

 架空の人物なのか?『古事記』の序文は筆録者の安万侶自身が書き、そこに「時に舎人(下級官人)がいた。姓は稗田、名は阿礼。年これ二八。人となり聡明にして、目にわたれば口に誦み、耳にふるれば心にしるす」とある。

 そこで天武天皇がこの記憶力抜群と讃えられる阿礼に『帝紀』『旧辞』を誦み習わせたという一文に続くのだが、序文や関係する史料(後述)を除き、他の史料(同時代に編纂された『日本書紀』他)で、この人物の存在を確認できず、実在しなかったという説の根拠となった。

 続いて、序文に「姓は稗田、名は阿礼」として、氏名(氏族名)の記載のない不自然さがこの説を後押しした。大和国添上郡に稗田という地名(奈良県大和郡山市)があり、地名を氏名とする例が多いため、いったん稗田は添上郡出身の氏族の名称だと考えられるようになった。

 ところが、稗田という氏そのものが古代の氏族名鑑ともいうべき『新撰姓氏録』に記載されていなかったのだ。

 しかも、稗田が氏名だとすると、今度は姓がないことになる。

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