日本最古の歴史書「古事記」編纂者、稗田阿礼「架空の人物か女性か」!? (2/3ページ)
姓は「せい」ではなく、「かばね」と訓み、当時、氏族の家柄を示すものとして、このような紹介文には必ずつけられた。事実、序文を書いた安万呂も末尾に「太」という氏名の次に「朝臣」という姓を記している。姓を持たない氏族というのは当時、ほとんど例がなかった。こうして架空人物説が力を得た。
ところが、阿礼の時代からかなり時代が下るものの、延喜二〇年(920)の史料で「稗田福貞子」「稗田海子」という人物が確認できる。
また、阿礼が架空の人物だとしたら、安万呂は元明天皇に偽りを語ったことになってしまう。なぜなら、序文は『古事記』を献上した元明天皇に対して書いたものだとされているからだ。実在の人物だからこそ安万呂は、阿礼が誦んだものを筆録したと天皇に報告できたのだ。
確かに『新撰姓氏録』などに稗田の氏名が記載されないのは気になるが、序文が偽書(ホンモノに見せて書いた書)でないことを原則に考えると、安万呂が無礼を覚悟でわざわざ天皇に架空の人物の名を示す理由がなく、阿礼は実在したといえる。
男性か女性か?
阿礼が女性だと最初に論じたのは江戸時代の著名な国学者平田篤胤。彼は著書の『古史微開題記』に「(阿礼は)女舎人」だと書いた。話のネタ元は『古事記』序文の関連史料である『弘仁私記』。
そこに、阿礼は天宇受売命という女神の末裔だと書かれ、その末裔の一族が歴代、猿女として朝廷に仕えたという伝承による。猿女というのは朝廷の行事で神楽舞などを演じた女官。ちなみに猿は「戯る」に通じ、滑稽な技を演じる者という意味がある。延喜二〇年の史料(前出)に登場した稗田一族の「福貞子」らも猿女として朝廷に仕えたことが分かっている。
しかし、稗田一族が猿女を輩出する家柄だとしても、一族の中にはむろん、男性がいたはずだ。
そこで阿礼が舎人と記載されているところがポイントとなる。舎人は下級役人ながら、天皇の護衛に当たるために武芸が重んじられ、「女舎人」がいたという記録は筆者の知る限り確認できない。やはり阿礼は男性とすべきだろう。