大坂の陣で壮絶な最期!石川数正の次男・勝千代(石川康勝)がたどった生涯【どうする家康】 (2/5ページ)

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豊臣政権での活躍

せっかく築き上げた伏見城は、慶長大地震で崩壊してしまった。月岡芳年筆

天正18年(1590年)には秀吉が天下を統一。石川父子の読みは正しかったと言えるでしょうか。

文禄元年(1592年)に秀吉が朝鮮遠征(文禄の役)の兵を起こすと、前線基地である名護屋城へ移りました。

翌文禄2年(1593年)に父が亡くなると、その遺領10万石のうち信濃国安曇郡1万5千石を受け継ぎます。

やがて朝鮮の戦況が思わしくなかったためか、康勝も兵を率いて渡海。京城(現代のソウル)へ遠征しました。

文禄3年(1594年)に帰還した康勝は、秀吉が隠居所として築城していた伏見城(指月伏見城)の普請にとりかかります。

果たして慶長元年(1596年)に完成した伏見城ですが、その直後に慶長大地震が発生。あえなく崩壊してしまいました。せっかく築き上げたのに、残念でしたね。

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