日本初のお化け屋敷は江戸時代の医師が作った「化け物茶屋」!大人気になるも「けしからん!」と撤去され…【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

小屋の壁や天井まで、いっぱいに「百鬼夜行」(※)を極彩色で描いたり、さらに「一つ目小僧」などの妖怪の細工人形なども飾り付けたもので、当時は怖いもの見たさの人々の間で大評判となり「大森の化け物小屋」として、多くの見物客に賑わったそうです。

しかしながら、その噂が代官の耳に届き「医師でありながらこのようなものを作るなど不真面目だ!けしからん!」ということで撤去を命じられてしまったのです。

※百鬼夜行:深夜に徘徊する鬼や妖怪の群れ・その行進で、平安時代から人々の間で伝えられている

佐脇嵩之『百怪図巻』より「目一つ坊」(写真:wikipedia)

今のお化け屋敷に近い「変死人形競」

そして、その数年後。江戸・両国の回向院で井ノ頭弁財天のご開帳の際、いろいろな催し物がでたなか、「変死人形競(くらべ)」というお化け屋敷のような見世物小屋もあったそう。

また、天保7年に両国で興行された「寺島仕込怪物問屋(てらしまじこみばけものどんや)」という見世物小屋もあり、さまざまな怪物話の芝居の一場面を細工人形で再現したものも大人気となりました。

「変死人形競」では、浅草に住む泉目吉(いずみめきち)という有名な人形師の作品が評判で、女性の生首・獄門晒し首・土左衛門・棺桶の割れ目から飛び出た亡霊の首ほか、非常にリアルな作りものが高い評判を呼んだそうです。

「日本初のお化け屋敷は江戸時代の医師が作った「化け物茶屋」!大人気になるも「けしからん!」と撤去され…【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、化け物茶屋お化け江戸時代妖怪お化け屋敷カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る