攻城隊を三度も退ける奮闘ぶり!玉砕覚悟で池田恒興を足止めした丹羽氏重の勇姿をご紹介【どうする家康】 (2/3ページ)
両丹羽氏は織田家に仕えていましたが、天正8年(1580)に氏重の父・氏勝が織田信長に対する謀反の疑いで追放。追放処分は氏重の兄・丹羽氏次には及ばず、織田信忠次いで織田信雄と仕えました。
ところが、天正11年(1583)に信雄と対立したことにより、氏次は氏重共々徳川家康の家臣となりました。
岩崎城の戦い
天正12年(1584)に起きた小牧・長久手の戦いの際、氏重は家康に従軍した氏次に代わって、一色丹羽氏の居城・岩崎城の守備に当たります。
この時、天然痘を患いつつも、池田恒興(いけだ-つねおき)率いる中入り部隊が岩崎城を通ると、城兵239人と玉砕覚悟で攻撃を仕掛けました。
当初、池田隊は岩崎城を素通りする予定でしたが、岩崎城から仕掛けてきた氏重に応戦。
