バウムクーヘンは平和の象徴…苦難の中で日本に骨を埋めた「ユーハイム」創始者
収容所で作られたバウムクーヘン
バウムクーヘンはドイツ発祥の焼き菓子です。木の年輪のように見えることから、ドイツ語で樹木を意味するBaum(バウム)とケーキを意味するKuchen(クーヘン)で「木のケーキ」と呼ばれるようになりました。
このバウムクーヘンを日本で初めて紹介したのは、中国の青島で洋菓子店を営んでいたドイツ人菓子職人のカール・ユーハイムです。
彼は第一次世界大戦で捕虜となり、広島湾に浮かぶ似島(にのしま)の捕虜収容所に収監されていました。が、彼は収容所でバウムクーヘンを焼く機械を自作し、同じく捕虜だった仲間や日本人と共に菓子作りに励んだのです。
彼は、そんな状況で作ったバウムクーヘンを「平和のシンボル」と考えていたと言われています。
さて、そんなバウムクーヘンが日本で初めて紹介されたのは、1919年3月4日に広島県で開催された「俘虜製作品展覧会」でのことです。
展覧会では、ユーハイムが焼いたバウムクーヘンが大人気となり、場中第一の売り上げを記録しました。このことがきっかけとなって、バウムクーヘンは日本中に広まっていったのです。
ちなみにユーハイムは、日本人の味の好みもきちんと把握していました。バターが多すぎると評価が下がると考えて、調整して作っていたといいます。
洋菓子店「ユーハイム」の始まり第一次世界大戦後、ユーハイムは解放された後も日本に残ることを選び、神戸で洋菓子店ユーハイムを創設しました。
ちなみにこの前身は喫茶店「JUCHHEIM’S」で、ここでユーハイムは日本で初めてマロングラッセを作り販売したといいます。ユーハイムは日本のバウムクーヘンだけではなく、マロングラッセの父でもあるのです。
さて、彼の作る菓子は評価も高く多くのファンを獲得したといわれており、洋菓子店ユーハイムが現在もバウムクーヘンの老舗として知られているのは皆さんもご存知の通りです。
しかし、彼は第二次世界大戦でも苦難に見舞われます。神戸空襲によってユーハイムの店舗が焼け落ち、彼自身も終戦の前日に亡くなってしまったのです。
さらに言えば、先述の通り「俘虜製作品展覧会」が開催されてバウムクーヘンが紹介された広島県物産陳列館は、1945年8月6日に原子爆弾が投下されて被爆し、現在は原爆ドームとして世界遺産に登録されています。
彼の死後、弟子たちは資金を持ち寄ってユーハイムを再興しました。彼の妻エリーゼも日本に呼び寄せられて、一緒に菓子づくりに携わりました。
戦争と平和とバウムクーヘンユーハイムのバウムクーヘンは、日本屈指の美味しさと伝統を誇る洋菓子の一つと言ってもいいでしょう。
層状の生地にバニラやチョコレートなどのコーティングが施されており、ふわふわでしっとりとした食感と、控えめな甘さの香ばしい味わいは、現在も洋菓子ファンをうならせています。
創業者カール・ユーハイムのレシピや、その菓子づくりの理念を守り続けていると言われています。
日本で作られている洋菓子の中でも、これほど戦争と平和を象徴するシンボルと密接につながっているものは他にないかも知れません。
参考資料
ユーハイム
Business Insider Japan
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan