最後はどうなった?長いものに巻かれ続けた織田信雄の人生をご紹介【どうする家康】 (4/5ページ)

Japaaan

豊臣秀吉/Wikipediaより

戦後、信雄は秀吉の家臣となり、富山の役や小田原征伐に従軍しました。しかし、小田原征伐後の論功行賞で尾張国から移封されることを拒否。

これが秀吉の怒りを買い、改易処分が下され、下野国烏山(現在の栃木県東部)や伊予国(現在の愛媛県)へ流罪となりました

文禄元年(1592)には家康の仲介もあり、御伽衆として秀吉に再度仕えました

徳川に対抗した後に仕える

豊臣秀頼/Wikipediaより

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは西軍に味方したことで再度改易処分が下されます。その後は秀吉の子・秀頼の援助を受け、大坂城下で生活しました。

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