徳川家を出奔した石川数正(松重豊)、秀吉に仕えてその後どうなった?【どうする家康】 (4/5ページ)
終わりに


石川伯耆守(数正)。若き日より家康に仕え、数々の武勲を立てて来た。大蘇芳年筆
徳川家康の人質時代からずっと忠義を尽くし続けた数正。出奔の理由は今なお諸説あって決着を見ませんが、晩節を汚してしまった感は否めません。
なお「室は内藤右京進某が女」とあり、彼女が劇中に登場する鍋(木村多江)です。
ちなみに三人の息子たちは徳川家へ帰参する者、豊臣家に仕え続ける者と分かれたものの、いずれも慶長18年(1613年)の大久保長安事件で改易されてしまいました。
長男・石川康長(玄蕃頭)
⇒父の死後、家督を継ぐ。秀吉の死後は家康に帰参。関ヶ原合戦では徳川秀忠(森崎ウィン)に従う。
次男・石川康勝(肥後守)
⇒父の死後、遺領の内15,000石を相続。秀吉の死後は遺児・豊臣秀頼(作間龍斗)に仕える。
三男・石川半三郎(紀伊守)
⇒父の死後、遺領の内5,000石を相続。秀吉の死後は家康に帰参。
数正の息子たちを受け入れる家康の心中はいかばかりだったでしょうか。
「あの時は軍事機密が筒抜けになって困ったけど、まぁヤツにはヤツなりに思うところがあったのだろう。その息子たちまで怨むことはないか」
大河ドラマ「どうする家康」には次男の勝千代(康勝)のみ登場しますが、今後も活躍の機会はあるのでしょうか。