日本全国で最も多く祀られる神様『八幡神』はいったい何者なのか!? (2/4ページ)
そこに「(八幡神は)辛国の城にはじめて八流の幡と天降って日本の神と成れり」とある。
まず、八流の幡とは神が宿る依代しろと考えられる。八幡とは、その八流の幡に由来しているのだ。そして、わざわざ八幡神が天降った際に「日本の神になった」といっているのだから、もともと異国の神だったことが分かる。事実、『古事記』や『日本書紀』に八幡神は登場してこない。では異国とは、どこなのか。『宇佐八幡宮託宣集』にある「辛国」は「韓国(からくに)」だとされ、彼らが営む城(支配地域)に天降ったのだから、八幡神は、朝鮮半島から日本へ渡来した氏族の神ということになる。
八幡はもともと「やはた」と訓まれ、「はた」は代表的な渡来氏族秦氏の「はた」と関連するともいわれる。
実際に八世紀初めの記録(戸籍)には宇佐八幡宮のある豊前国に「秦」に属する部民(豪族らの私有民)たちがいたことも分かっている。
秦氏は朝鮮から渡来し、葛野(のちの京都市)で定住するが、九州の周防灘周辺に残った一族が八幡神を祭祀していたのだろう。
■「応神八幡神」誕生の謎
秦氏は最新の土木技術などをもって財を蓄え、葛野で定住した一族はその後、桓武天皇による平安京遷都のスポンサーとなった。
つまり、渡来氏族ながら秦氏は天皇家や朝廷にとって、なくてはならない存在だった。まず、その秦一族が祭祀する神であったため、宇佐の八幡神は早くから中央に知られていたのだろう。
また、九州北部は大陸への門戸であり、逆に大陸から外敵が襲来した際には前線となる重要な防衛拠点だ。
以上の理由から、その防衛拠点の宇佐に鎮座する「韓国(からくに)の神」が中央から注目され、奈良時代の半ばにはその地位を確立させる出来事が起きた。聖武天皇による東大寺の大仏建立である。『続日本紀』(平安時代初めに編纂された歴史書)によると、八幡神は「我が(大仏建立を)必ず成し遂げてみせよう。そのために(建立に使う)銅を(扱いやすくするために)水と成し、(作業に使う)草や木や土をわが身に混ぜ合わせ、あらゆる障害をなくしてみせよう」と神託(神のお告げ)したという。