恫喝外交で条約締結に成功した!?「赤鬼」ペリーが隠し通した「弱点」 (2/3ページ)

日刊大衆

 しかも、この間、前述した香山栄左衛門が幕府老中に宛てた上申書によると、アメリカの使節の一人は、幕府が国書の受け取りを拒んだら、その恥辱をそそがなければならないとして、こう続けたという。

〈浦賀において余義なき場合(戦争)に至り申すべし。その節に至り候とも、(降伏を含めて)用向きこれあり候えば、白旗を建て参りくれ候え。鉄砲を打掛け申すまじく〉

 幕府が交渉を蹴ったら戦争になる、ただし降伏するなら白旗を掲げてこい、そうしたら攻撃はしない――そう恫喝したという。

 しかし、この話は『ペリー提督日本遠征記』には見えず、さすがにペリーも、そこまでの恫喝は控えたはずだ。

 しかし、この話以外は信憑性があり、幕府は結果、久里浜村(横須賀市)へのペリーの上陸を認め、彼は武装したアメリカ兵三〇〇名を伴い、フィルモア大統領の国書を幕府へ渡すことに成功した。

 こう見てくると、幕府がペリーの恫喝に屈したのは事実といえるが、このとき彼は日本側が知らないアキレス腱を抱えていたのである。

 まずペリーは、フィルモア大統領から乗員への暴力に報復することを除き、軍事力に訴えてはならないという命令を受けていたのだ。

 幕府が上陸を拒んだら「武力に訴えて上陸する準備をさせていた」としているが、それはあくまで「最後の手段」。このように交渉の舞台裏で行動が制約されていたのである。

 そして二番目のアキレス腱は、彼が託された大統領国書そのものにあった。というのも、ペリーが嘉永五年一〇月一三日にノーフォーク港(バージニア州)を出港して翌年六月に浦賀に来航する間にアメリカ国内で政権交代が実現。ホイッグ党(後に共和党へ吸収)のフィルモアから民主党のピアース(第一四代大統領)へ政権が移っていたのだ。

 つまり幕府が受け取った国書は正確には前大統領が署名した文書という形になり、そこで通商や開港、難破したアメリカ国民の保護を日本に求めていながらも、外交上の効力には疑問符がつく。

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