明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【前編】~「徴兵制」施行まで~ (3/3ページ)
現在の防衛相にあたる兵部省の大輔(次官)だった大村はしかし、反対派に暗殺されてしまいます。
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その後は前原一誠が継いだものの、彼は一年足らずで辞職。こうして、押し出されるような形で山県は軍のトップである兵部大輔の地位を手に入れたのでした。
その後、彼は陸軍中将・そして近衛都督へととんとん拍子に出世していき、日本の新たな陸軍を創設する中心的役割を負っていくことになるのです。
彼は、大村益次郎が果たせなかった帝国陸軍建設を実行し、まず徴兵制を施行しました。
山県が徴兵制度にかけた信念はかなり強力なものでした。彼にはもともと奇兵隊での経験や、西欧諸国の兵制を視察した際の知見がありましたが、徴兵制の根底には彼なりの「平等思想」があったと言えます。
もともと山県は、旧武士層を「抗顔座食」の士と批判したことがあり、武士の身分的特権は打破しなければならない、そうすることで兵農合一の土台が作られ、不当な身分差別をなくすことにつながると考えていたのです。徴兵制はそうした信念の現実化したものでもありました。
彼のこうした信念は珍しいものではなく、当時の明治維新の功労者たちのうち、下級武士出身の者たちは皆、同じ考えを持っていたといいます。(【中編】へ続く)
参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年
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