まさに縁の下の力持ち!秀吉の弟・豊臣秀長の人柄がわかる功績やエピソード【どうする家康】 (2/4ページ)
この時に秀吉から家来になるよう誘われていますが、秀長自身は農業に精を出す生活に満足しており、一度断りました。
また、この時の秀長の夢は村年寄りだったようです。それでも秀長を欲した秀吉は説得し、秀長も武士の道を歩むことを決めました。
藤堂高虎から慕われた
藤堂高虎は7回主君を変えたことで有名な武将です。
主家の滅亡で仕方なく主君を変えたこともありますが、徳川家康の次に長く仕えたのは秀長でした。
高虎は天正4年(1576)頃から300石で秀長に士官。そして、三木合戦や賤ヶ岳の戦い、紀州征伐といった数々の戦いで功績を残し、秀長はそれに応える形で1万7300石を加増しました。
さらには高虎を聚楽第内に家康の屋敷を建築する役目に任命し、重宝していたことがわかります。
温厚な秀長と武功で報いる忠義者・高虎という2人の相性は非常に良かったのか、高虎は秀長が亡くなる天正19年(1591)までの約15年間仕えました。
秀長死後は秀長の養子・秀保に仕官。その秀保が文禄4年(1595)に亡くなり、秀長の家系が断絶すると出家しました。
高虎の才能を惜しんだ秀吉から説得により還俗しますが、秀長たちの死を悼んで出家したことがうかがえます。