日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】 (3/4ページ)

Japaaan

1940年7月19日・右から陸軍大臣東條英機、海軍大臣吉田善吾、外務大臣松岡洋右、そして近衛(Wikipediaより)

この時すでに日中戦争は泥沼の様相を呈していました。元々日本の仮想敵国はロシアでしたが、ロシアと戦うには中国に拠点を置かなければならないという発想で満州などに進出したのに、今度は中国侵略を許さないという立場のアメリカと一触即発の状態になっていたのです。

第二次内閣では、まず日独伊三国同盟に調印して、さらに挙国一致の新体制である「大政翼賛会」を発足。これにより政党は全て解散しました。さらに翌年には日ソ中立条約を締結し、彼の構想する、日独伊ソの4国ブロックを築いてアメリカと対峙するという計画が実現に近づきます。

ただ、アメリカと戦争をしても資源や戦力の面で勝ち目がないのは明らかで、近衛は並行して対米交渉を続けていました。ハワイでルーズベルト大統領と首脳会談を行う構想もあったと言われています。

第三次内閣の放棄

その後、対米交渉を進めるために一度総辞職し、1941(昭和16)年7月18日、対米強硬論者だった松岡洋右だけを交代した第三次内閣を発足させました。

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