日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】 (1/4ページ)
「国民政府を相手にせず」
【前編】では、近衛文麿が政治の世界に足を踏み入れて第一次近衛内閣を組閣し、満州事変が勃発したところまでを見てきました。その後、混迷する日本の政治情勢の中で近衛はどのように立ち回ったのでしょうか。
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満州事変をきっかけに、日中戦争が始まります。早めに和平にこぎつけるという選択肢もあったのですが、近衛は陸軍に押されて1938(昭和13)年1月に有名な「近衛声明」を発表し、ここで「国民政府を相手にせず」と和平を拒絶する宣言を出します。
和平が絶望的になったのは、陸軍の独走も大きな原因でした。一時はドイツ大使のトラウトマンを仲介にした和平交渉も試みられたのですが、陸軍が勝手に南京を占領したことで、これも潰されてしまったのです。
その後も、軍のさまざまな勢力が勝手に動いて功を競いますし、外相の広田弘毅はそれを追認するだけなので役に立ちませんでした。
