規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【前編】 (2/4ページ)

Japaaan

陸軍大将時代の林銑十郎(Wikipediaより)

1904年に日露戦争が始まると、林は歩兵第6旅団の副官として従軍します。そしてかの旅順攻囲戦に参加し、盤竜山の東砲台攻撃では、撤退命令を拒否して残兵70名を率いて占領するという快挙を成し遂げました。

この成果が認められた林は「鬼大尉」の異名で呼ばれるようになり、第3軍司令官だった乃木希典大将から個人感状を与えられています。

朝鮮軍司令官としての「越境」

さて、1931年9月に満洲事変が勃発します。

満州全土の面積はフランスとドイツを合わせた程度のもので、日本列島の二倍はありました。事変を画策した関東軍の石原莞爾たちは、これを一万五千人の関東軍で制圧しようとしますが、どうしても頭数が足りません。

そこで石原は一計を案じ、満州で関東軍が軍事展開している間、本来の任務である居留民保護を「朝鮮軍」にゆだねようとします。

「規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、林銑十郎、昭和時代、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る