徳川三代に仕えた譜代の勇士・大久保忠教(彦左衛門)かく語りき【どうする家康】 (2/4ページ)
彦左衛門はこれを悔やむも、また別の首級を上げてやりました。
天正11年(1583年)の岩尾城攻めにおいても首級を上げ、天正13年(1585年)の信濃国相木でも武功を重ねたそうです。
そんな彦左衛門ですが、天正13年(1585年)8月、真田昌幸によって手痛い敗北を喫することもありました。
真田の篭もる上田城を攻めあぐねて死傷者を重ね、兵を引くなり真田勢が猛然と追撃。
彦左衛門は忠世と二人踏みとどまって奮戦し、首一級を獲たと言います。戦後の論功行賞では、殿軍を務めた彦左衛門の証言が査定を左右したそうです。
こうして彦左衛門は身命を惜しまず武勲を重ね、兄の忠世亡き後は、その嫡男である大久保忠隣に仕えました。
旗は確かに立っていた!家康相手に一歩も譲らず
窮地に陥った家康を背負って逃げる彦左衛門(イメージ)幽斎年章筆
さて、歴戦の勇士として徳川家中に知られるようになった彦左衛門。
しかしその待遇は決して手厚いものとは言えず、所領は忠隣から授かった二千石ばかり。それさえ慶長19年(1614年)に忠隣が失脚すると没収されてしまいました。