徳川三代に仕えた譜代の勇士・大久保忠教(彦左衛門)かく語りき【どうする家康】 (1/4ページ)

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徳川三代に仕えた譜代の勇士・大久保忠教(彦左衛門)かく語りき【どうする家康】

忠義に厚く、勇猛だけど、頑固で偏屈が玉に瑕……徳川家康の天下獲りを支えた三河武士は、そんな連中の集まりでした。

どこまでも主君を愛するあまり、主君の意に背いてでも忠義を貫く姿は、とっつき難くも愛しさを感じられてなりません。

今回はそんな三河武士の一人、大久保忠教(おおくぼ ただたか。彦左衛門)のエピソードを紹介したいと思います。

長兄・大久保忠世と共に武功を重ねる

月岡芳年「皇国二十四功 大久保彦左衛門忠教」

大久保忠教は永禄3年(1560年)、大久保忠員の八男として誕生しました。

母親は小坂氏、通称を平助または彦左衛門と言います(以下、彦左衛門)。元服してはじめ大久保忠雄と名乗りますが、故あって大久保忠教と改名しました。

彦左衛門が家康に出仕したのは16歳となった天正3年(1575年)、以来長兄の大久保忠世に従います。

初陣は翌天正4年(1576年)、武田方の守る遠江国乾城の戦いで、初めて首級を得たのでした。

さらに天正9年(1581年)の高天神城攻めでは総大将の岡部長教(元信)を倒す大手柄。

しかし「こんな最前線で戦っている年寄り、大した者でもなかろう」と打ち捨て、大久保家臣の本多主水に首級を譲ってしまいます。

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