規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

また、彼が陸軍の操り人形であることは世間にも見透かされていました。

さて1937年2月2日に第33代内閣総理大臣となった林は、石原莞爾を参謀として組閣を進めていきます。

しかし石原は、あまりの林の頼りなさに業を煮やし、絶縁状を叩きつけました。で、陸軍からの支持が得られないと考えた林は、方針を180度転換して陸軍首脳部、平沼騏一郎、近衛文麿などに近い人物を積極的に大臣に起用してバランス人事を行います。見事な変わり身の早さでした。

突然の「食い逃げ解散」

重要な法案はほとんど前内閣から持ち越されたものだったので、他の政党との摩擦はほとんどなく、議会ではスムーズに予算などの法案が通過します。

法案通過に際しては、林は衆議院に対して平身低頭、非常に腰の低い態度だったため、陸軍による軍拡予算も不承不承ながら受け入れられのでした。

しかし会期末日の3月31日、林は何の正当な理由もなく議会を解散しました。法案を通過させるだけさせておいて、実際には政策を一切実行しないまま解散するのは食い逃げのようなもので、これは「食い逃げ解散」と呼ばれます。

林は前日の3月30日に、閣僚たちに突然解散する方針を告げていたそうです。もちろん閣僚たちは反対しましたが、林は一人ずつ別室に呼んで解散を承知させる形で意志を通したのでした。

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