「どうする家康」もう君と同じ星は見えない…第40回放送「天下人家康」振り返り

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「どうする家康」もう君と同じ星は見えない…第40回放送「天下人家康」振り返り

「どうやら、徳川殿とは違う星を見ていたようにござる」

亡き太閤・豊臣秀吉(ムロツヨシ)に誰よりも忠義を尽くしながら、その理想と現実の乖離に絶望する石田三成(中村七之助)。こういう真っ直ぐ過ぎるがゆえにぶつかってしまう不器用な人って、いつの時代もいるものですよね。

決然と立ち去った三成の背中を寂しく見送る「我らが神の君」徳川家康(松本潤)は、「これより、修羅の道に入る」と天下取りへの決意を固めました。

(亡き瀬名や信康たちが掲げていた「慈愛の国」構想はもろくも潰え去ったようです。彼女たちの死は、いったい何だったのでしょうか)

表向きでは豊臣家を立てつつ、諸大名を従えるように政治の実権を掌握していく家康。もちろんそれを快く思わない者たちは少なからずおり、これから大きな波乱が避けられなくなっていきます。

NHK大河ドラマ「どうする家康」第40回放送「天下人家康」。今週も気になるトピックを振り返っていきましょう!

一、十人衆(五大老と五奉行)について

五大老の一・毛利輝元(画像:Wikipedia)

さて、秀吉亡き後の豊臣政権を支えるために結集した十人衆のお歴々。日本史の授業では五大老、五奉行と呼ばれる人々ですね。今回はその顔ぶれをおさらいしましよう。

【五大老】

※年齢は秀吉が亡くなった慶長3年(1598年)時点。

徳川家康 関東250万石(56歳)→我らが神の君。もはや説明不要ですね。

上杉景勝(津田寛治) 会津120万石(43歳。家康より13歳年下)→越後の龍・上杉謙信の養子。反家康の最強硬派。

毛利輝元(吹越満) 中国112万石(46歳。家康より10歳年下)→中国地方の覇者・毛利元就の嫡孫。大物感はあるが、煮え切らない性格。

前田利家(宅麻伸) 加賀83万石(60歳。家康より4歳年上)→若い頃から織田信長に仕えた歴戦の勇士。もっと早くから出て欲しかったです。

宇喜多秀家(栁俊太郎) 備前57万石(27歳。家康より29歳年下)→山陽地方の謀将・宇喜多直家の嫡男。秀吉の猶子になっていたことも。

五奉行の一・増田長盛(画像:Wikipedia)

【五奉行】

浅野長政(濱津隆之) 甲斐甲府22万石(52歳。家康より4歳年下)→以前、秀吉の唐入りを真っ向から批判していましたね。

石田三成(中村七之助) 近江佐和山19万石(39歳。家康より17歳年下)→こちらも説明不要でしょうか。今後の活躍が楽しみです。

徳善院玄以(村杉蝉之介) 丹波亀山5万石(60歳。家康より4歳年上)→前田玄以の名前で有名。徳善院は法号です。

長束正家(長友郁真) 近江水口5万石(37歳?家康より19歳年下?)→三成の同僚。能吏として活躍するが、関ヶ原で非業の最期を遂げます。

増田長盛(隈部洋平) 大和郡山22万石(54歳。家康より2歳年下)→関ヶ原では出陣せず。後に徳川家へ仕えるも息子の謀叛により自害。

五大老は元々豊臣家と対等であった大名たち、五奉行は秀吉の側近たち。その石高を比較すると、家康の250万石が圧倒的ですね。

劇中でも説明があったように豊臣政権の実務を五奉行が執り行い、五大老がそれを支える、つまり不満が出ぬよう睨みを利かせる体制でした。

ただし、口では合議制と言ったところで実際は力のある者が主導するのは世の常というもの。

毛利と上杉が束になっても敵わない徳川が実権を握りつつあったのは、誰の目にも明らかでした。

ただし毛利と上杉らもそれぞれ連携していたとは言い難く、単なる「反家康グループ」としてではなく、各大名間の確執なども描いて欲しかったところです。

一、石田三成襲撃事件について

朝鮮出兵における不満を募らせていた武断派の者たち。彼らを抑えていた前田利家の死によってタガが外れ、ついに彼らが石田三成を襲撃します。

事件の様子は江戸幕府の公式記録『徳川実紀』にも書かれていました。

黒田長政(画像:Wikipedia)この形の兜、劇中で見かけましたよね?

……加藤主計頭清正。同左馬助嘉明。浅野左京大夫幸長。池田三左衛門輝政。福島左衛門大夫正則。黒田甲斐守長政。細川越中守忠興の七人の徒。先年朝鮮の戦にいづれも千辛萬苦して軍忠を励み。武名を異城(原文ママ。域か)にまでかゞやかせしが。其比石田三成軍監として賞罰己が意にまかせ。偏頗の取計のみして。帰陣の後太閤へさまざま讒せしにより。この七人には少しも恩典の沙汰に及ばず。……

加藤清正(淵上泰史) 加藤嘉明(秀吉子飼いの武将) 浅野幸長(浅野長政の子) 池田輝政(家康の娘婿) 福島正則(深水元基) 黒田長政(阿部進之介) 細川忠興(細川幽斎の子、細川ガラシャの夫)

彼らは朝鮮出兵における苦境の中、目覚しい武勲を立てました。しかし三成が彼らの報告を握りつぶしたため、秀吉から十分な恩賞に与れなかったそうです。

……よて七人会議して三成を打果し。舊怨を報ひむとするにより。大坂中殊の外騒擾に及び。三成も宥窮志てせむすべ志らざる所に。佐竹義宣は三成とは無二の親交にして。且頗る義気あるものなれば。ひそかに三成を女輿にのせてをのれ付そひ。大坂をぬけいで伏見に来り。……

「かくなる上は治部少輔(三成)を討つべし!」

七人は合議して大坂にいた三成を襲撃。慌てた三成は親友であった佐竹義宣を頼りました。

佐竹義宣は常陸国(茨城県)の大名で、義気に篤い性格ゆえ窮地の三成を救出します。

「さぁ、治部殿こちらへ!」

女性物の輿に三成を乗せて自ら護衛し、伏見の徳川屋敷へ駆け込んだのでした。

……向島の御館に参りてさまざま歎訴し奉れば。 君には何事も我はからひにまかせらるべしと御承諾ましまし。やがて御使を七人の方へ遣はされ。仰■■れしは。当時秀頼幼程におはせば。天下物志づかにあらまほしく誰も思ふ所なり。まして人々はいづれも故太閤恩顧の深きことなれば尚更なるべし。三成が舊悪はいふまでもなけれど、彼已に人々の猛勢に恐れて。当地までも逃来りし上は。おのおのの宿意もまづ達せしなればこれまでに致され。此上は穏便の所置あらむとこそあらまほしけれとの御錠なり。……

向島というのは巨椋池(現在は消滅)に浮かぶ島で、伏見城の位置から向かいにありました。ここに家康の屋敷があり、逃げ込んできた三成を快く受け入れたと言います。

「相分かった。彼らはわしが説得しよう」

家康は七将に対してなだめる使者を遣わしました。

「いま大坂城におわす秀頼ぎみは未だ幼く、我らが天下を平穏にお支えせねばならん。特にそなた達は亡き太閤殿下から深く御恩をうけたのだから、尚更であろう」

「確かにそなた達の不満はもっともで、これは治部めの落ち度に他ならない。しかし此度わしを頼って来たからには、わしも治部を守らぬ訳には行かんのだ」

「そなた達とここで争うのは容易いが、天下平穏のため治部めを震え上がらせたところで矛を収めてはくれまいかのぅ」

さて、これを聞いた七将の反応やいかに。

福島正則(画像:Wikipedia)

……この時七人の者は三成をうちもらせしをいきどほり。伏見まで馳来り。是非討果さむとひしめく所に。かく理非を分てねもごろの仰なれば。さすが盛慮に背きがたく。まげて従服し奉りぬ。されど三成かくてあらむも世のはゞかりあれば。佐和山に引籠るべしと仰られて。結城三河守秀康君もて護送せしめ給ひしかば。三成もからうじて虎口をのがれ。己が居城に還る事を得たり。……

「おのれ、治部めを討ち損じたわ!」

七将は家康の元へ逃げ込んだ三成を討つことが出来ず、地団駄を踏む思いだったことでしょう。

やむなく兵を引き上げて行った一方、家康は三成に謹慎を命じます。

「そなたを守って何もせぬでは、連中も気が済むまい。しばし近江佐和山にて落ち着かれよ」

「……忝(かたじけな)い」

伏見から佐和山への道中は危険なので、家康は次男の結城秀康に護衛させ、三成は無事に帰り着いたのでした。

……そのそも三成 当家をかたぶけ奉らむ等とはかりしこと一日に非ずといへども。またその窮苦を見給ひては。仁慈の御念を動かし救済せしめたまふ御事。さりとは寛容深仁の至感ずるにあまりありといふべきにぞ。(天元實記。)

※『東照宮御実紀附録』巻八「加藤清正等七将興三成確執」

かくして収まった七将の三成襲撃事件。そもそも三成が家康を亡き者にせんと企んだことは、一度二度ではありませんでした。

それでもあえて怨みを見せず、三成を保護したのはもちろん今後のため。

「せっかく豊臣政権内部に対立の火種がおるのだから、生かしておけば今後ますます燃え盛ろうて」……家康は、そういうヤツだったようです。

たぶん今回初登場の武将たち

藤堂高虎(画像:Wikipedia)

今回は初登場の武将たちがたくさん。恐らく今後モブキャラと化していくのでしょうが、せっかくなのでそれぞれざっくり紹介します。

蜂須賀家政(武田幸三)⇒紹介なし

永禄元年(1558年)生~寛永15年(1639年)没

秀吉の旧主・蜂須賀小六正勝の嫡男。朝鮮出兵では武功を立て、三成襲撃事件にも参加しています。関ヶ原では家康に味方し、後に淡路一国を賜わりました。

藤堂高虎(網川凛)⇒紹介なし

弘治2年(1556年)生~寛永7年(1630年)没

豪傑として武功を重ねるも、戦国武将らしく主君を転々と渡り歩きます(浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→津田昌澄→豊臣秀長→豊臣秀保→豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川家康→徳川秀忠→徳川家光)。

特に家康との絆は篤く、家康が死ぬ前に「同じあの世へ行きたい」と宗派を日蓮宗から天台宗へ改めたほどでした。

黒田長政(阿部進之介)⇒紹介なし

永禄11年(1568年)生~元和9年(1623年)没

秀吉の名軍師として知られる黒田官兵衛(黒田孝高、如水)の嫡男。朝鮮出兵では加藤清正らと共に武功を重ねたが、正しく評価しない三成に恨みを募らせます。

関ヶ原では徳川家に与した戦功により、筑前国52万石を与えられました。

嶋左近(高橋努)

最期まで三成に忠義を貫いた島左近。その活躍は描かれるのか(画像:Wikipedia)

寡黙にして勇猛果敢、三成に過ぎたる者

嶋左近 しま・さこん
[高橋努 たかはしつとむ]

三成がその才覚にほれ込み、三顧の礼をもって召し抱えた武将。三成が佐和山城へ蟄居に追い込まれた際も付き従い、打倒家康の志を共にする。逆境においてこそ、真価を発揮する男。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より

天文9年(1540年)生~慶長5年(1600年)没

三成に 過ぎたるものが 二つあり 島の左近に 佐和山の城

(何か似たような狂歌があったような……「家康に 過ぎたるものが 二つあり 唐の頭に 本多平八、とか)

三成の家臣にしておくにはもったいないと謳われた猛将。紹介文の通り、三度も招いてようやく家臣になってもらったそうです。

関ヶ原の合戦で三成を守って討死したと伝わりますが、その後も落ち延びて伝説を残したとも言われています。

などなど……ひとり一人を見ていくと、実に多彩な武将たちですが、これから残り2ヶ月は年表を追い駆けて辻褄を合わせる展開が予想されます。

今後も名前とキャストが走馬灯に出て来ると思うので、推し武将を見逃さないように気をつけましょう!

戦国人のメンタリティについて

偉大なる「我らが神の君」徳川家康。しかし彼のようなカリスマに接して、畏敬の念と共に「すげぇ、いつかアイツを倒してやる!」と奮い立ってこそ、戦国乱世を戦い抜いてきた男というものである。そういう高揚感こそ、戦国時代の楽しみではなかろうか(イメージ)

これまで今川義元(野村萬斎)・織田信長(岡田准一)・武田信玄(阿部寛)・武田勝頼(眞栄田郷敦)・北条氏政(駿河太郎)など、数々の強豪たちと対峙してきた神の君。

世代交代が行われつつある今、そんな家康はもはやレジェンドと化しつつあったようです。

だから、みんな彼を恐れているのだとか……しかし、その描写には違和感が否めません。

確かに家康は約250万石と抜群の勢力を築き上げた傑物。それは誰もが認めるところでしょう。

(大河ドラマの劇中で、武田勝頼と数年間にわたって八百長合戦をしていたとか、そういう創作はこの際忘れて下さい)

しかし他の大名や武将たちだって、それぞれの地域で戦国乱世を闘い、したたかに生き抜いてきた猛者たちです。

また若い世代にしても、父や兄たちが戦いに臨む姿を真近に見ていますし、自分たちもその時に備えて研鑽を怠らなかったことでしょう。

「相手が強ければ、ひとまずは従っておこう。だけど、もし何かあればその首を俺がとって、成り代わってやろう」

そういう野心的な発想や価値観こそが武士たちの活力であり、戦国時代を楽しむ醍醐味と言えます。

家康に恐れおののく前田利長を描写するなんて、筆者が前田家の末裔なら苦情を入れてやりたいところです(実際やるかはともかく)。

もっと眼をギラギラさせていて欲しい。みんな生きるために、殺し殺されの修羅場をくぐり抜けた勇士たちです。名前の知られた大名や武将だけでなく、足軽や雑兵の一人ひとりに至るまで。その自覚を持って欲しい。

そういう熱気に触れられるからこそ、戦国時代というジャンルは人気が高いのではないでしょうか。

あと2ヶ月ほどありますから、今後の熱演に期待しましょう!

第41回放送「逆襲の三成」

さて、何やかんやで豊臣政権の主導権を握った我らが神の君。しかしこのままで収まるはずがありません。

ウィリアム・アダムスの活躍に期待(画像:Wikipedia)

予告画面を見るとウィリアム・アダムス(村雨辰剛。のち三浦按針)が登場し、大谷吉継(忍成修吾)が病のため覆面をし始めました。

そして久しぶりの鳥居元忠(音尾琢真)。彼は三成たちをおびき出す囮として、伏見城に討死することになります。

後世「三河武士の鑑」と謳われる鳥居元忠の最期を、心して見届けましょう!

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 小和田哲男 監修『必見!関ケ原』岐阜県関ケ原古戦場記念館、2023年3月 笠谷和比古『論争 関ケ原合戦』新潮社、2022年7月 谷哲也『シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成』戎光祥出版、2018年1月 堀新『日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ』吉川弘文館、2009年12月

トップ画像:大河ドラマ「どうする家康」公式HPより

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