元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【中編】 (3/4ページ)
その結果、政友会も講和条約に賛成することになり、その交換条件として桂が西園寺に政権を譲るという密約を交わします。第一次西園寺内閣はこうして成立しました。
その際西園寺は、桂から、政友会の勢力があまり大きくならないことを条件として出されていました。
そこで、政友会から入閣した大臣は原敬など少数にとどまり、内容としては政友会と山縣・桂系の派閥の連立内閣のような形になります。
こうして政友会のような政治政党と、山縣・桂が率いる藩閥勢力は、お互いに無視できない関係になっていきます。
双方の橋渡しを行い、政権交代がスムーズに進むための交渉役として活躍したのが原敬でした。
桂園時代の西園寺内閣の実績「桂園時代」の、西園寺・桂による政権交代は四回行われています。この間、西園寺内閣によって行われた鉄道国有化・南満州鉄道会社(満鉄)の設立・二個師団増設などは、元老の意に沿ったものや桂内閣の政策を引き継いだものでした。
また日本社会党の設立も認めており、内相だった原敬は山縣有朋の牙城だった内務省の掌握に努めました。さらに貴族院の有爵議員から閣僚を登用して、山縣派の閣僚出身議員に対抗しています。公家出身ならではの政策として、数多くの文化政策も取り入れられました。