最期はせめて夫の前で…平安時代、前九年の役で命を散らした安倍則任の妻は、どんな末路を辿ったのか【前賢故実】 (2/3ページ)
二戸九郎)
長女・有加一乃末陪(ありか いちのまえ。藤原経清室)
次女・中加一乃末陪(なかか いちのまえ。平永衡室)
三女・一加一乃末陪(いちか いちのまえ)
則任の妻については詳しいエピソードは伝わっていないものの、『前賢故実』の記述から幼い一人息子を生んでいるようです。
安倍則任妻。不詳姓氏。康平中源頼義討安倍氏。則任妻見軍敗柵陥。告其夫曰。夫子亦将不免。妾義不獨生。請致死于君前。乃抱其兒。躍投深淵而死。衆軍為流涕為。
※菊池容斎『前賢故実』巻之六
【意訳】安倍則任の妻について、その出自は不詳である。前九年の役(永承6・1051年~康平5・1062年)の終盤において源頼義が安倍氏討伐に乗り出し、彼女は味方が敗れ砦(柵)が陥落する様子を目の当たりにした。
彼女は夫・則任に言った「あなたもこの子(男児)も助命されはしないでしょう。私ひとりで命を永らえるわけには参りません。どうかあなたの前で死なせて下さい」と。
そして男児を抱えると、深淵に身を投げ命を絶った。これを見て、則任はじめ配下の将兵らは涙を流さずにはいられなかったそうな。
……以上が彼女のすべてです(他に文献をご存じの方がいたら、ぜひご教示ください)。
夫も息子も助からないなら、せめて家族一緒に死にたい。その心映えに則任ら一同は感動し、最期の死力を奮い立たせたことでしょう。