元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【後編】 (3/4ページ)
パリ講和会議の海上となったフランス外務省(Wikipediaより)
会議場に、西園寺は会議が始まってだいぶ時間が経ってから会場に到着しました。これは西園寺の出席の決定と、そのための準備に時間がかかったためでした。高齢だった当時の彼はかつてのように満足にフランス語を話すことができず、発言は一度も行っていません。残念ながら大活躍とはいきませんでした。
西園寺は元老として宰相指名権を掌握したものの、それぞれの状況で無理のない範囲で適切な人選をするにとどまり、状況を作り出すような努力はしていません。悪いことは何もしなかったのですが、文官として強い積極性を持って政治に臨んだとも言えないでしょう。
暗殺・テロの時代へ1928年6月4日に、後の満州事変へとつながっていく遠因になった張作霖爆殺事件が発生しました。事件直後から、西園寺は事件の犯人は関東軍であることに気付いており、当時の田中義一首相に犯人処罰を勧告しています。
しかし関係者は田中に責任を取らせることを考えており、西園寺はそれに反対しましたが、田中は昭和天皇の不興を買って、最終的には事件の責任を負う形で辞任。これが、昭和天皇の権威が軽視されて、陸軍が暴走していくきっかけにもなりました。