元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【後編】 (1/4ページ)

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元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【後編】

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元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【中編】

「内閣の毒殺」から「元老」へ

その後、1908年5月、衆議院選挙で政友会は勝利しますが、その二カ月度に第一次西園寺内閣は退陣しました。退陣の理由は健康悪化とも元老たちの圧力とも言われています。

次は桂太郎が首相になり、議会の多数派だった政友会と協力しながら政局を乗り切りました。しかし伊藤博文暗殺や大逆事件、南北朝正閏問題が重なって、桂内閣は総辞職します。

ここで原敬と桂は会談し、桂太郎が再び総理にならないという誓約を得て、政権はまた政友会に譲られました。

こうして二次西園寺内閣が成立したものの、陸軍による軍拡要求で閣内の意見の不一致が生じ、第二次内閣は1912年12月に瓦解し西園寺は政界を去ります。この、政権の内部崩壊は当時「内閣の毒殺」と呼ばれました。

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