【どうする家康 外伝】北条家から徳川家に仕えた中島盛直・中島信久兄弟のエピソード (2/4ページ)

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兄・中島盛直の生涯

兄・中島盛直(イメージ)

●盛直
大蔵 母は某氏。
北條氏輝に仕へ、甲斐国新府陣の時高名あり。小田原落城の後、天正十九年東照宮にめされ、御麾下に列し、甲斐国中郡のうちにをいて采地三百石をたまひ、陸奥国九戸一揆のとき、岩手沢まで扈従す。慶長五年関原の役に供奉し、十八年六月六日死す。年六十。法名常林。武蔵国世田谷常林寺に葬る。

※『寛政重脩諸家譜』巻第二百一 清和源氏(義光流)中島

兄の中島盛直は天文23年(1554年)生まれ、母親は不明、通称を大蔵(おおくら?だいぞう?)と言いました。

関東に覇を唱えた北条一族の北條氏照に仕え、天正10年(1582年)に起きた天正壬午の乱(織田信長の死によって空白地帯となった武田家旧領の争奪戦)では徳川家康との合戦で名を挙げたそうです。

やがて天正18年(1590年)に羽柴秀吉が北条一族を滅ぼすと浪人し、翌天正19年(1591年)に徳川家へ仕官しました。かつての強敵は心強い味方になると見込まれたのでしょう。

盛直は甲斐国中郡(山梨県)に所領300石を賜わり、陸奥国で勃発した九戸政実の乱では、鎮圧のため陸奥国岩出沢(宮城県大崎市)まで遠征しました。

慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦にも従軍し、慶長18年(1613年)6月6日に60歳で世を去ります。法名は常林、武蔵国世田谷の常林寺に葬られたということです。

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