悪名高い「不平等条約」はまだマシな方だった?実はアメリカも手を焼いた徳川幕府の粘り強い交渉 (3/4ページ)

Japaaan

日米修好通商条約(外務省外交史料館蔵・Wikipdediaより)

ハリスも「自分は条約締結に功績がある」と日記に記していますが、実際には彼自身も「日本からは、条約の草案が真っ黒になるほど訂正させられた」と話しており、対日交渉は想像以上に苦労したことが伺えます。

アジアの国際政治を席巻した「不平等」

列強が派遣を争う当時の世界情勢で、他のアジア諸国が欧米に結ばされた条約と比べてみると、日本の和親条約・修好通商条約ははるかにマシな内容だったと言えるでしょう。

例えば清国はアヘン戦争に敗れ、イギリスと「南京条約」を結んでいますが、この条約によって中国商人の利権が失われ、香港の99年間の譲渡が決定しています。さらに翌年の追加条約では、清国側は領事裁判権を承認させられた上に関税自主権をも放棄させられました。

また当時のシャム国(タイ)は、関税が日本よりも低い一律3%。のちにフランスと武力衝突したことで領土の一部を喪失しています。ビルマ(ミャンマー)などはイギリスとの度重なる戦争で植民地にまでなりました。

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