その時、歴史が動い…てない!新選組 大奮闘の「池田屋事件」は作り話だらけ?禁門の変とも無関係 (2/4ページ)

Japaaan

そんな中で上記の不穏な噂が流れたことから、彼らは警戒を強めます。

この頃の新撰組の動向について、永倉新八は後年その回想録の中で「新撰組は会津の命のまにまに巡邏を名として諸藩の動静をさぐり幕府に不利なものとわかれば暗殺、捕縛と高圧手段を加えた」と記しています。

そして1864年6月5日の早朝に大きな動きがありました。近江国郷士・古高俊太郎が放火の容疑で捕縛されたのです。薪炭商・桝屋喜右衛門と名乗っていた古高ですが、新撰組による拷問で、自分は長州藩士であることを自白します。

古高俊太郎邸跡(Wikipediaより)

さらに彼は、強風の吹く6月20日に京都御所に放火して松平容保と中川宮朝彦親王を襲い、孝明天皇を長州へ拉致するという計画が進んでいることも「自白」したのでした。

その日の夜、新撰組はさっそく集会場所とされた池田屋へ向かいました。そして血みどろの激闘となったのです。

以上が、有名な池田屋事件の顛末です。

作り話だらけ?

で、現在いろいろと疑問視されていることの一つが、そもそも尊王攘夷派による京市中への放火と天皇の拉致計画は、本当にただの噂だったのではないか? ということです。

この計画が本当だったとすると、あまりにも杜撰です。内通者がいるわけでもないのに、御所の天皇の居場所を把握するのは至難の業ですし、決行日の6月20日に本当に強風が吹く保証もありません。

近藤勇は、古高俊太郎の自白をもって、この噂は正しかったと述べています。

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