悲劇の英雄・木曾義仲の末裔?徳川家康に代々仕えた山下一族の勇士たち【どうする家康 外伝】 (2/4ページ)
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
生没年不詳
幼名は犬坊丸、元服して通称は弥蔵または又五郎と言いました。父祖伝来?の信濃から、三河国阿在村に移住したそうです。よって、三河山下一族としては初代となります。
山下一族3代目・山下正綱
●正綱
彌蔵 又助 母は某氏。
清康君につかふ。享禄三年五月三河国宇利城を攻たまふのとき軍功あり。某年死す。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
生没年不詳
母親は不明、通称は弥蔵または又助。弥蔵は世襲、又の字も受け継がれました。
松平清康(家康の祖父)に仕え、享禄3年(1530年)5月の三河国宇利城攻めで武功を立てたそうです。
その他の事績は不明、いつ亡くなったかも定かではありません。
山下一族4代目・山下綱義●綱義
彌蔵 又十郎 母は某氏。
広忠をよび東照宮につかへたてまつる。天文十八年三月十九日三河国安城にをいて戦死す。法名玄英。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
生年不詳〜天文18年(1549年)3月19日没。
母親は不明、通称は弥蔵または又十郎。松平広忠(家康父)そして家康に仕えました。