男色で色仕掛け、火縄銃で暗殺…戦国時代の武将・宇喜多直家が実行した前代未聞の暗殺の数々 (2/3ページ)

Japaaan

基本的に戦国時代では正々堂々と戦うのが「暗黙のルール」でしたが、宇喜多直家にとってこのルールは生き抜くための妨げにしかならなかったのでしょう。

暗殺の才能が開花するとき

宇喜多直家が自身の中に眠る暗殺の才能に気づいたのは、1561年に備前地方の統一を目的とし、備前西部で権力を保持していた龍ノ口城へ侵攻したときのことです。

龍ノ口城を包囲して、有利な状況へと持ち込んだ宇喜多直家でしたが、敵城主・穢所元常は落城を許しませんでした。しばらく膠着状態が続き、埒が明かないことにしびれを切らした宇喜多直家は、穢所元常の暗殺を企てました。これが、宇喜多直家にとって人生初の暗殺となります。

その作戦は「色仕掛け」で、生粋の「男色家」として有名だった穢所元常のもとに、美少年小姓をスパイとして送り込むというものでした。

戦争の最中にやってきた怪しい人物を簡単に信じる武将がいるのかと疑いたくもなりますが、まんまと引っかかり、小姓と一夜を過ごして寝入った隙に首を取られています。

穢所元常は油断しすぎですが、敵の弱点を見抜いて的確に計画を実行した宇喜多直家は、初暗殺ながら才能の片鱗を窺わせる結果をたたきだしました。

その後、宇喜多直家は徐々に暗殺者としての才能を開花させていきます。

日本初の暗殺方法を考案

話はそれてしまいますが、1575年に織田信長が火縄銃を使って大軍に勝利した「長篠の戦い」はご存じでしょうか。

この戦いの勝因といえるのは、最新兵器「火縄銃」の存在が大きかったようです。

当時は戦闘に火縄銃を取り入れる武将は少なく、誰よりも早く強力な武器を本格導入した織田信長の先見の明には驚かされます。しかし、そんな織田信長よりも先に火縄銃を使いこなしたのが宇喜多直家でした。

それは、長篠の戦いより9年も早い、1566年のこと。顔見知り程度の阿波細川家の浪人・遠藤兄弟(遠藤俊通・遠藤秀清)を雇い、当時はまだ主流とは言えなかった武器・火縄銃を使った暗殺を実行させたのです。

銃を使った暗殺というのはアニメやドラマでも登場機会が多く、現代では真っ先に思いつく暗殺方法のひとつかもしれません。

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