全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【前編】 (2/3ページ)
さまざまなゴタゴタはあったものの、孝明天皇のもとで幕府と朝廷は結束を強くしていきました。
そんな中で、彼は急死します。公式には天然痘が原因だとされていますが、その最期の様子には不審な点が多々見受けられます。
全身から出血する最期孝明天皇の最期の様子については、宮内庁編纂の『孝明天皇紀』を始めとする詳細な記録が残っています。
定説では、彼に天然痘をうつしたのは、宮中で奉仕していた児童丸という子供だったとされています。児童丸が天然痘にかかり、治療のため一度は退出したものの、回復したとみられたため再び参内したところ、それが天皇に感染したというのです。
天皇が発症したのは12月11日のことでした。宮中内侍所で神楽を観覧している際に気分が悪くなり、翌日には高熱を発しています。
最初、御典医は「風邪」と診断しましたが、14日には顔や手に発疹があらわれ、診断は「痘瘡あるいは赤痢」に改められました。
そして15から16日にかけて全身に発疹が出て、これによって正式に「痘瘡」つまり天然痘だと断定されました。
19日には食欲が出て安眠できるようになり、快方に向かったとされていますが、しかしその後24日になって病状が急変。再び発熱して「えずき」がひどくなり、夜中から翌朝にかけて吐き気を止める薬を服用します。