映画やドラマの名シーンは誇張!?「武士は馬に乗って戦った」はウソ (3/4ページ)
この成功が秀吉を天下人に押し上げた重要なファクターであるのは間違いないが、この年の一〇月一八日付で秀吉が織田信孝(信長の三男)の老臣らに宛てた書状の案文(草案)に「(六月)六日まで高松に逗留し(中略)二七里(一〇五・三キロ)ある行程を駆け、七日には一日一夜で姫路城(当時の秀吉の居城の一つ)に入った」とある。
つまり高松から一昼夜で、およそ一〇〇キロを走破したと言っているのだ。
大返しの日程については諸説あるが、備中から姫路までの行軍スピードが山崎の合戦の勝敗を分けたといわれる。
しかも秀吉は主力部隊である騎馬兵らを毛利の勢力圏内から安全な羽柴勢の勢力圏であった姫路まで駆けさせ、彼らの安全を守っただけでなく、馬のスピードに追いつけず、遅れて姫路にやって来た歩兵たちを待つ間、主力の騎馬兵らに休息を与えることにも繋げている。秀吉の大返しは輸送手段としての馬を有効に使った好例といえる。
■映画などの合戦シーン実際は原則なかった!?
一方、合戦でも馬は乗り物として活用されている。ここでラグビーやサッカーの試合を思い描いていただきたい。これらのスポーツと合戦、いずれも自陣営から敵陣営へ攻め込み、点を取る“競技”だ。敵陣営深く攻め入るにはスピードが求められる。歩いていくより馬に乗って駆けていったほうがはるかに早い。
しかし前述の通り、よほど熟練した者でないと馬に乗ったまま戦うのは難しく、敵陣内で敵に遭遇したら馬から下りて戦っていたわけだ。
それでは下りた後の馬はどうしたのか。騎馬兵には必ず徒歩の従者が何人かつき添い、彼らが馬の他、主があげた敵の首を預かる役割を担っていた。
このように馬の周りには何人かの歩兵がいるわけだから、映画などの合戦シーンのように馬に乗った武士だけが一団となって疾駆することは原則、なかったといえる。
ただ、それはあくまで「原則」であり、例外もあったようだ。『甲陽軍鑑』に「いづれも馬を大将(侍大将)と役者(騎馬武者)と一備えの中に七、八人乗り」という描写がある。