映画やドラマの名シーンは誇張!?「武士は馬に乗って戦った」はウソ (1/4ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 戦国時代の映画やドラマで必ずといっていいほど登場するのが、武士同士が馬に乗って戦うシーン。その象徴が天正三年(1583)の長篠の合戦(愛知県新城市)だろう。

 織田信長が新兵器の鉄砲三〇〇〇挺をそろえ、武田勝頼が無謀にも、そこへ自慢の騎馬隊を突っ込ませて多くの将兵を失い、大敗した戦いとして記憶されている。

 黒澤明(故人)監督の映画『影武者』(1980年公開)で、武田の騎馬隊が敵の一斉射撃によってバタバタと撃ち殺されるラストシーンは衝撃的だ。

 ところが、戦国武将たちは馬に乗って戦っていた――そんな常識が崩れつつある。

 まず、長篠の合戦そのものについても見直しが進み、信長がそろえたという三〇〇〇挺という鉄砲の数にも疑問が投げられている。史料的価値が高い太田牛一(信長の側近)著の『信長公記』(刊本)に一〇〇〇挺と記載されているからだ。

 もちろん一〇〇〇挺とはいえ、ズラリと鉄砲が並ぶ敵陣へ騎馬隊を突っ込ませたら、ひとたまりもない。

 鉄砲の数が通説の三分の一に減っても武田側の被害は甚大になると思われがちだが、映画『影武者』のようなシーンはありえない。

 なぜなら武田勢の多くが馬から下りて敵兵と戦っているからだ。つまり馬上槍を振るって敵陣へ突っ込まなかったと考えられるのだ。

 そこで、元亀四年(1573)、まだ勝頼の父信玄が存命の頃に武田軍が徳川軍を粉砕した三方ヶ原の合戦(静岡県浜松市)でのシーンを参考にしたい。『改正三河後風土記』という史料に

「四郎勝頼が二本の馬印を左右に押し立て、馬より下りて敵を突崩した」とある。馬印というのは戦場で大将の馬の脇に立て、乱戦となっても味方の兵に自分の位置を示すためのもの。これがないと大将がどこにいるか味方に分からないので、左右に押し立てているところまではわかるが、問題はその次。

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