徳川家に代々仕え忠義を尽くした「勝(すぐろ)一族」三方ヶ原合戦では武田軍を相手に奮戦【どうする家康 外伝】 (3/5ページ)
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
天文5年(1536年)生~慶長13年(1608年)没
別名を勝與一郎、母親は不詳。松平広忠と家康に仕え、永禄6年(1563年)の上野城攻めで一番乗りを果たし、槍働きを見せました。しかし大場の戦闘では、敵の矢を受けて負傷しまったそうです。
元亀3年(1572年)の三方ヶ原合戦では武田の軍勢を相手に奮戦し、敵と太刀打ちとなりました。兜の錣(しころ。後頭部とうなじを保護する部分)から刃を貫いて敵を討ち取ったと言います。
敵が吉房の銘刀を持っていたのでこれを戦利品として持ち帰ったところ、家康から献上するよう命じられました。
「のう安の字、これをわしに譲らぬか?もちろんタダでとは言わぬ」
「……御意」
果たして安右衛門は銘刀を献上、代金として永禄銭十貫文(現代の価値で約10~12万円)を与えられます。
その後、本多重次(作左衛門)の部下となって数々の戦場を渡り歩き、慶長13年(1608年)に73歳で亡くなったそうです。
三代目・勝重昌(五左衛門)
●重昌
五左衛門 母は某氏。天正十八年小田原陣のとき、めされて東照宮に拝謁し、本多作左衛門重次が隊下となりて供奉す。