二日酔いで「大坂の陣」に出陣し徳川家康が激怒!”酒封じの神”となった本多忠勝の次男・忠朝 (3/5ページ)
親子共々の功績により、忠勝は所領である上総国大多喜(現在の千葉県大喜多町)に加増という形で新たな領地・伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)が与えられました。
しかし、忠勝がそれを拒否したことで、忠朝は大多喜を与えられ、19歳で大名となりました。
メキシコとの交流のきっかけを作った本多忠勝顔負けの武勇を持っていると同時に忠朝はメキシコとの交流のきっかけを作ったことでも知られています。
この出来事は慶長14年(1609)にフィリピン総督のドン・ロドリゴを乗せたサン・フランシスコ号の難破により、大多喜藩領の岩和田村(現在の千葉県御宿町)の浜に漂着したことが始まりです。
漂着したロドリゴたち317人は地元民によって救助。忠朝も家臣300人たちを率いて、ロドリゴの元へ訪れます。
そして、江戸幕府にこのことを報告し、大多喜城にて手厚くもてなしました。
その後、ロドリゴたちは江戸城にいる秀忠、駿府城にいる家康から歓迎を受け、与えられたガレオン船で本来の目的地であったアカプルコ(メキシコの都市)へ向かいました。
このことがきっかけになり、1978年に大多喜町とクエルナバカ市、御宿町とアカプルコが姉妹都市となり、現在もその関係は続いています。