島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【前編】 (1/2ページ)

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島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【前編】

鎌倉時代から江戸時代まで700年間に渡って南九州を統治してきた島津家のなかでも、歴代最恐の暴君として名高い「島津忠恒(家久)」はご存知でしょうか。

すぐれた内政手腕で島津家を滅亡の危機から立て直した功労者ですが、騙し討ちや妻への扱いがひどすぎるとして功績よりも悪行について語られることが多い不遇な人物です。

忠恒はのちに家久と名乗っていますが、叔父にも家久がいたことから、しばしば悪い方の家久を略称して「島津悪久」とよばれることもあるのだとか。

今回は、そんな島津忠恒が当主になるまでのエピソードを紹介します。

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島津忠恒(Wikipediaより)

子供の頃からヤンチャ

戦国時代末期、島津忠恒は島津家の3男として誕生。父親は、常人とはかけ離れた強さを誇り、鬼島津の異名を持つ島津義弘です。

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