銘酒「北の勝」酒蔵の創業者!日本で初めてカニ缶の製造に成功した男・碓氷勝三郎の生涯【その3】 (2/3ページ)

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缶詰を製造している碓氷合名会社(小日向忠造 編『やまと錦』国立国会図書館デジタルライブラリー)

また、蟹、海老、ついに蟹と、次々と缶詰にすることに成功し、それでも満足せず、海扇(ほたて)や浅蜊(あさり)までにも着手し、新しいことに果敢にチャレンジしていったことが成功への導きでした。

遡ること1900(明治33)年以降、勝三郎は根室内に複数の牧場を開き、牛馬の改良・繁殖も行っています。さらに、1908(明治41)年には、資本金5万円で、北千島の鮭・鱒・鱈の漁業者や開発に当たる漁業者に、物資の供給や資本金の貸し付けを目的として千島興業株式会社を設立するなど、根室の地方産業の振興に努め、また町会議員の職なども歴任したのでした。

1916(大正5)年3月20日、「根室の殿様」とまでいわしめた碓氷勝三郎は、63歳でその生涯を閉じました。

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