したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【中編】 (3/4ページ)
ここで、大久保が描いた武力討幕のシナリオは完全に瓦解し、密勅も停止されました。
大久保はここでも慶喜に出し抜かれたのです。しかもこの時点では長州藩はまだ逆賊扱いであり、ここで薩摩藩が孤立すれば、もう慶喜に敵はいません。
そして、これを受けて大久保が島津久光・忠義に対して最後の手段として建議したのが、王政復古のクーデターだったのです。
倒されていない慶喜さて、大政奉還後の慶喜は、征夷大将軍だけ辞めた状態でした。九月には権大納言から内大臣になったばかりで、右近衛大将の肩書もそのままです。
つまり慶喜はただ将軍職を辞しただけで、七百万石という領地や旗本八万旗は彼が掌握している状態でした。大政奉還によって失った権力など、一切なかったのです。
その後の内政・外交も相変わらず彼が行い、12月7日の兵庫港開港でも、諸外国に対して慶喜が実質的な国家元首であることが示されています。
そして、やがて明治天皇による「王政復古の大号令」が発令されました。264年にわたる徳川幕府の支配は、表面的にはここで終わったはずでしたが、慶喜はまだまだ倒されてはいません。
なんと、王政復古の大号令が発令されたその直後から、さっそく各藩を巻き込んだ騒動が始まるのです。