したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【中編】 (2/4ページ)

Japaaan

言うまでもなく、武力面で見ても慶喜の方が数段上なのですが、大久保は、政治工作では勝ち目がないから武力討伐を選択することになったのです。いわばこちらの方が「悪あがき」でした。

そして薩長出兵盟約が結ばれたことで、薩長同盟は正式に軍事同盟となります(のちに安芸藩も加わる)。大久保は、今度は慶喜を逆賊に仕立て上げるべく朝廷工作に奔走しました。

ここで巧みに立ち回ったのが土佐藩です。特に後藤象二郎は幕府と薩長の双方に二股をかけて、有利な方につこうと企んでいました。で、有名な坂本龍馬の『船中八策』を公議政体論にまとめ直した文書を、幕臣を通して慶喜に渡しています。

後藤象二郎(Wikipediaより)

それに目を通した慶喜の動きは素早く、大政奉還後に公議政体と船中八策を実現することを考えます。大政奉還が行われました。

最後の手段としての王政復古

で、大久保利通はというと、朝廷に討幕勅命の発出を正式依頼したところでした。

これで勅命が降下すれば、慶喜は逆賊となり武力倒幕が可能になります。

だがなんと、その密勅が下された翌日に慶喜による大政奉還上奏が勅許されたのです。

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