お金のために命をかけた狂戦士「鎌倉武士」の切実な”中抜き”事情…節税対策に励んだツワモノも

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お金のために命をかけた狂戦士「鎌倉武士」の切実な”中抜き”事情…節税対策に励んだツワモノも

各世帯の収入格差が過去最大に到達したといわれる近年、副業や投資をして収入をアップさせたり、どうにか支出を抑えようと対策している人も多いようです。このように「お金のこと」で苦労をしているのは、現代人だけではありません。

今回は、お金のために命を懸けて戦った鎌倉時代の武士について紹介します。

狂戦士・鎌倉武士

鎌倉武士とは、平安末期~鎌倉時代に活躍した武士たちの総称です。当時、世界一の国土を保有していた列強・モンゴル帝国との戦争「元寇」に参加し、勝利に繋がる功績を残しています。異常なほど勝利に固執する彼らは、一部の歴史マニアやネット民のあいだで「狂戦士」や「バーサーカー」の二つ名でよばれるほど。

『蒙古襲来絵詞』前巻・絵5・第17紙(wikipediaより)

元寇の際に日本人捕虜を盾にしながら突撃してきたモンゴル軍に対して、一瞬の隙や迷いを見せることなく、仲間ごと弓で射ったというのは、有名すぎるエピソードです。

さらに、モンゴル軍には捕虜が効果的であることを見抜き、モンゴル兵を盾にした戦闘スタイルで戦況を有利に立ち回ったという逸話も残されています。

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しかし、彼らは血も涙もない戦闘狂だったわけではありません。というのも、当時は従う代わりに土地を譲り受ける契約「御恩と奉公」で武士と主人の主従関係が成立していた時代。武士は土地を譲り受けるために武功や戦果をあげる必要があり、仲間の命よりも勝利に固執する必要があったと考えられています。

ではなぜ、当時の武士はそれほどまで「土地」に執着したのでしょうか。

土地の価値

鎌倉時代に活躍した指折りの武士たちが戦う理由は、「土地(所領)」を手に入れるためでした。彼らが必死になって土地を所有しようとしたことには、「当時の収入や税金システム」が関係しています。

当時の税金システムは、所領に住まう農民から集めた野菜や米などを武士が中抜き(手数料を引くこと)をして、幕府に納めるというもの。この中抜きで得たものが、武士たちの実際の収入となったわけです。

悪徳領主の場合は農民に重税を強いて、中抜きの取り分をかさまししたそうですが、一般的な領主の場合は中抜きできる量も限られていて苦しかったといいます。

そのため多くの収入を得るためには、広い土地を所有する必要がありました。このことから当時の武将たちは、広い土地を獲得するために戦っていたことが分かります。

ちなみに、武士の屋敷内にある田畑から作られた野菜は非課税対象だったようで、節税意識の高い武士は屋敷を広くして家庭菜園をおこなっていたそうです。

現代と鎌倉時代の共通点

こうして考えてみると、現代の私たちと同様に鎌倉時代を生きた武士たちもお金の悩みは尽きなかったのかもしれません。当時の武士たちが節税対策を必死に考えている姿を想像すると親近感がわきますね。

現代を生きる私たちと、鎌倉時代を生きた武士たちの生活の根本にあるものは案外変わらないのかもしれません。

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