「日本三悪人」道鏡の野望を阻止!天皇に忠義を尽くした和気清麻呂 (2/3ページ)
姉の広虫の引き立てがあったのだ。
そして、三年後の天平景雲三年(769)に「宇佐八幡神託事件」が起きる。国定教科書では道鏡を悪人として扱い、事件の主犯格だと断定しているが、最近では、この事件の首謀者は称徳天皇だとされるようになってきた。
国定教科書に記載される話は、ほぼ『続しょく日に本ほん紀ぎ 』という一級史料を踏襲している。大きく違う点は国定教科書に書かれていない「道鏡にへつらう者」の名が記載されていることだ。大宰府(福岡県)で神祇を司る大かんづかさ神という役職にある者が「道鏡をして皇位に即かしめば、天下太平ならん」と神託をでっち上げたとするのだ。
しかし、話のネタ元といえる『続日本紀』は『日本書紀』の続編として、平安遷都を実施した桓武天皇の時代に完成した歴史書。事件の首謀者とされる称徳天皇は、壬申の乱(古代の内乱)に勝利して事実上の「天武朝」を開いた天武天皇の流れを汲んでいたが、皇太子を定めず崩御したため、死後、群臣会議によって白壁王が光仁天皇として即位した。
その光仁天皇は天智天皇(天武天皇の兄)の孫に当たり、称徳天皇とは皇統を別にする。
そのため、光仁天皇の皇子(桓武天皇)の時代に編纂された『続日本紀』が、「天武朝」から「天智朝」への皇位継承を正当化するため、あえて道鏡を悪役の地位へ貶めた可能性は否定できない。
そもそも道鏡に本当に天皇になろうとした企みがあったなら、下野への左遷で許されるはずがない。
しかも、称徳天皇には神託を偽ってまで道鏡に譲位する動機がある。というのも、この時代、女帝は一代限りという原則のため、いわば不婚が強制されていた。
したがって、彼女には一代限りという女帝の宿命への反発があったのではなかろうか。そして道鏡の皇后として実権を握り、いわば「称徳朝」を開こうとしたとも考えられる。
以上を背景に、宇佐八幡神託事件における清麻呂の役割を再検討してみたい。
清麻呂は姉の広虫の引き立てで出世し、彼女は称徳天皇の信任を得ていた。まず、広虫も清麻呂も事件の首謀者とみられる称徳天皇グループの一員だったこと。