考えが甘すぎ!?幕末期に明け渡された江戸城、実は「すぐ返してもらう」つもりだった【前編】 (2/4ページ)

Japaaan

今も残る旧・江戸城の巽櫓

ところが最近の研究では、実は幕府側はこの江戸城の明け渡しについて、あまり重く考えていなかったことが分かっています。

詳しく言えば、当時の幕府側は、江戸城を明け渡すのはあくまでも一時的なものだと考えていたのです。城はいずれ返ってくるだろうし、徳川慶喜の地位も保証されるに違いないと思っていたのです。

これは、明け渡された江戸城が、幕府寄りだった尾張藩預かりになったのも大きな理由でした。いずれ城は返還されるだろうという噂も、幕府内では流布していたといいます。

この思惑があったため、かの勝海舟は、一度は江戸城の返還を大総督府に意見したほどでした。

明け渡し後も続いた混乱

江戸城が新政府へ引き渡されたのは1868年4月11日のことです。これとあわせて、徳川慶喜は故郷である水戸藩へ移されました。

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