「極楽は 敵を倒した その先に」徳川家康が詠んだ味わい深い和歌5選を紹介
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康……いわゆる戦国時代の「三英傑」中、最も地味なイメージの強いのが家康ではないでしょうか。
質実剛健・剛毅木訥を絵に描いたような三河武士ですから、趣味は実戦重視の鷹狩り三昧。茶の湯や芸能方面はからっきし……かと思いきや、和歌にも造詣が深かったようです。
江戸幕府の公式記録『徳川実紀』には家康の詠んだ和歌が伝わっており、文武両道の面影を偲ばせます。
今回はそんな家康の作品から特に面白いと感じたものをピックアップ。その味わいを共有できたら嬉しいです。
やっぱり詩歌は好まなかったが……詩歌などの末枝は。元より御好もおはしまさねば。殊さらに作り出給ふべくもあらず。されど折にふれ時によりて。御詠吟ありしを。後々よりくり返し諷詠し奉ればさながら御文思の一端をしるに足れり。よて古くより書にも志るし。口碑にも傳へしものどもをかきあつめて。御文事のすゑに附し奉ることになん。……
※『東照宮御実紀附録』巻二十二「宗康(原文ママ。家康か)詠吟」
【意訳】(生粋の武人である)家康は、詩吟や和歌などつまらぬことは好まなかった。なので殊更つくることはなかったが、折にふれて詠んだ作品があるので、その思想や美意識を偲ぶ縁(よすが)となるだろう。ここでは書に記され、また言い伝えなども掻き集めて記録しておくことにした。
……やっぱり文芸方面には疎かったんですね。それでも必要に応じて詠めるほどの教養は備えており、その作風から家康の人柄を偲ぶことができるかも知れません。
吉野の花見で、桜に感動!花のいろ春より後も忘れめや 水上遠き 瀧の志ら糸
※文禄三年二月廿九日 吉野の花見で
【意訳】今日見た花の色は、春が過ぎても、いつまでも忘れることはないでしょう。遠くから流れる白糸の滝と共に。
……文禄3年(1594年)2月29日、豊臣秀吉に随行した吉野の花見で詠んだ歌です。「殿下と共に見た桜の美しさを、私は決して忘れません」そんな喜びを伝えたかったのでしょう。
なお「忘れめや」とは「忘れることがあるだろうか。いや、ない」という表現で、感動が強調されますね。
眼をわずらい、秋葉大権現に願かけ明らかに 東を照す 御ひかり
ちかひをわれに 譲り給へや※慶長二年正月、眼病を患った折、遠州秋葉東照山平福寺に御願書を奉る
【意訳】東国を明るく照らす秋葉大権現さま、どうかその御威光と使命を私にお譲り頂けないでしょうか。
……時は慶長2年(1597年)正月、家康は眼病を患ったそうで、その平癒祈願に秋葉大権現をお詣りしました。その時の歌だそうです。
東を照らすという言葉が死後に贈られた東照大権現に通じるものを感じます。この時に譲られた「ちかひ」を生前から意識していたのかも知れませんね。
まるで藤原道長?満月を我が手に天か下 心にかゝる 雲もなく
月を手にとる 十五夜のそら※三河国碧海郡野畑村里民の高橋武右衛門が、先祖から聞いたという歌
【意訳】天下を我がものとし、心には何一つ憂いもない。望めばあの満月さえ手にとれるような心地だ。
……何だか藤原道長の「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」にそっくりですね。
実は黒歴史だった?「此の世をば……」藤原道長のこの歌を一体誰が後世に伝えてしまったのか?天下人となった家康の有頂天ぶりが目に浮かびます。これを農民が言い伝えているというのは、もしかしたらオフレコだったのかも知れません。
公の場ではこんなこと言えないけど、遊びに出た先でなら……そんな気のゆるみが出ているのでしょうか。
まったく役人ってヤツは……松の木は ものゝ奉行に さも似たり
曲らぬやうて 曲り社(こそ)すれ※在京時、北野の松原に渡御した折に詠んだ歌
【意訳】松の木は、役人に似ておるな。どれほどまっすぐにしようと努めても、気づけば曲がってしまうようだ。
……曲がらぬ松がないように、不正をしない役人はいない……そんな家康のぼやきが聞こえるようです。
まぁ、あまり真っすぐ過ぎても周囲と衝突が絶えなさそうですし、ある程度は周囲に合わせて曲りながら協調していく姿勢を許してあげて下さい。
極楽は 敵を倒した その先に切むすふ 太刀の下こそ 地獄なれ
懸れや懸れ さきは極楽※ある時の戦で本多忠勝らわずか七騎で大樹寺に入った時に詠んだ和歌
【意訳】地獄というのは、敵と斬り合いしている今この時この場所である。怯まず進め、極楽はこの先じゃ!
……絶体絶命の状況下で、家臣たちを鼓舞したこの一首。
家康のキャッチフレーズ「厭離穢土欣求浄土(穢れた俗世を離れ、極楽浄土を求める)」とは、つまり「極楽は 敵を倒した その先に」ということだったのかも知れませんね。
終わりに以上『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、家康の詠んだ和歌を紹介してきました。
ちなみに『徳川実紀』は江戸時代に編纂された歴史書であり、徳川幕府を肯定する立場から、公平性や史実性については正直微妙な点が否定できません。
とは言え、人々に親しまれてきた徳川家康のイメージに大きな影響を与えた文献として、参考までに楽しんで頂ければと思い紹介しました。
本当に家康がこれらの和歌を詠んだのかどうかはともかく、「家康ならこんな和歌を詠んだかも知れないな」と味わっていただけたら嬉しいです。
このほか辞世の句など興味深い和歌があるので、また改めて紹介できたらと思います。
※参考文献:
『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan