大砲ぶっ放し天守閣に命中!「大坂の陣」で活躍した徳川軍の砲術師・渡辺三郎太郎とは何者か? (3/4ページ)

Japaaan

翌慶長20・1615年の大坂夏の陣でも宗覚の大砲は火を噴いたようで、合戦は大勝利。ついに豊臣家を滅ぼしたのでした。

終わりに

砲撃を受ける大坂城(イメージ)

……渡辺三郎太郎といふは。元豊後の大友が家人なるが。大友の命にて入唐し。石火箭の製作をよび放し様をならひ心得て帰国しけるが。大友亡て後は三郎太郎も流落し宗覚と改名し。同国府内の城主早川主馬が方に寓居してありしを。主馬よりかの石火箭を御覧に入しかば。こは軍用にかくべからざるものなりとて。宗覚父子を召出され。度々御用を仰付られ。殊に大坂冬の役には。駿府へめし石火箭調して奉り。夏の役にも供奉し。落城の後城中にて焼し銅鉄の類を。ひとつに吹まとめて奉り。後年に至り領邑を賜はり。世々この御用奉る事となりぬ。(貞享書上。)……

※『東照宮御実紀附録』巻二十四「制作大砲」

以上、徳川家康に仕えた砲術師・渡辺三郎太郎のエピソードを紹介してきました。

その後、渡辺父子がどうなったのか、子孫たちがどうなったかについては改めて調べたいと思います。

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