超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】 (2/4ページ)
さて、鎌足の子にあたる不比等には、四人の息子がいました。彼らはそれぞれ藤原南家・北家・式家・京家の藤原四家に分かれたものの、最終的には北家が最も強大な力を持ち、他の三家を圧倒します。
この時、北家の長となったのが藤原冬嗣です。
そしてこの冬嗣には複数人の息子がおり、紫式部の母である藤原為信女は冬嗣の長男の家系にあたります。一方、父の為時は六男の家系でした。
六男・藤原良門の家系ところで、冬嗣の息子たちの中で最も出世したのは、次男の良房です。
彼は嵯峨天皇の皇女と結婚して摂政の地位を獲得するなどし、天皇に代わって政治を行うようになりました。
そして、その良房の子孫である基経・忠平・師輔・兼家たちは、それぞれ関白や摂政の地位を絵て政治を取り仕切るようになります。
彼らが最盛期を迎えた時代こそが、紫式部や藤原道長が生きた頃でした。