超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【前編】 (3/4ページ)
ちなみに、同じ藤原北家の系統に属するものの、紫式部の父の藤原為時の系統はいまいちパッとしません。
為時は、藤原冬嗣の六男である良門の系統ですが、良門に続く利基・兼輔・雅正は権勢には恵まれなかったのです。
公家の中でも、中央政界の高官は特に公卿(くぎょう)と呼ばれますが、この良門の系統の中で公卿になれたのは兼輔だけです。彼は中納言の地位を手に入れました。この人が藤原為時のおじいさん(紫式部のひいおじいさん)にあたります。
出世した理由は…しかし為時の父親(つまり紫式部の祖父)にあたる雅正の代からは受領(ずりょう)の地位に落ちていました。
受領とは、中央政界での出世が望めない中流貴族が、国司として地方の政務を司るようになったポジションのことです。