超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

「紀貫之古里」の石碑

また、醍醐天皇のもとで和歌の振興につとめ、この時にはいとこにあたる藤原定方とも協力しました。

そして兼輔の長男である雅正も、歌人として有名になります。彼は父が亡き後も、紀貫之との親交を保ちました。また、女流歌人・伊勢などと和歌のやり取りができるほどの才能ある風流人だったのです。

ちなみに、ご存じ『後撰和歌集』では、雅正の歌が七首選ばれています。

【前編】でも解説しましたが、この雅正が紫式部のおじいさんにあたります。つまり雅正の息子が、紫式部の父親の藤原為時なのです。

為時・為頼はインテリ兄弟

さて、為時は超インテリでした。何せ、官僚の育成機関である「大学寮」に入学すると、定員わずか二十名という狭き門である「文章生」となったのです。

ちなみに、彼はかの菅原道真の孫である文時に師事していました。

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