超インテリだった「紫式部の家系」を深掘り!彼女の文才はどこから来たのか?【後編】 (3/4ページ)
為時は和歌の腕前も一流で、勅撰集に四首が選ばれています。このあたり、父親である雅正の血を受け継いだと言えるでしょう。しかもそれだけではなく漢詩の名人としても有名で、平安中期に編纂された漢詩集『本朝麗藻』には十三種が選ばれています。
やはり彼のインテリぶりは家柄によるところが多かったのか、為時の兄(紫式部の伯父)である藤原為頼も、勅撰集に十一首が収録されています。
また彼は、個人の和歌をまとめた和歌集である「家集」として、『為頼集』も遺しました。
物心つく前に母を亡くした紫式部為時は968年に播磨国(兵庫県南西部)の役所の三等官である役職に任ぜられました。彼が藤原為信女と結婚したのはこの時期で、その後の数年間で男子一人と女子二人をもうけています。
この女子二人のうち次女が紫式部です。