どう描かれるのか期待!藤原道長に仕えた武士たち「道長四天王」を知っているか?【光る君へ】 (2/3ページ)

Japaaan

【伊勢平氏略系図】
維衡-正度-正衡-正盛-忠盛-清盛

道長四天王・平致頼(たいらの むねより)

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生年不詳~寛弘8年(1011年)没

又従兄弟である平維衡ともども暴れ者だったようで、長徳4年(998年)の合戦では朝廷の咎めに反省せず、隠岐国へ配流となってしまいました。

ちなみに維衡は、過状=反省文を提出して赦されています。致頼の不器用ぶりが目に浮かぶようですね。

3年後の長保3年(1001年)に赦免され、都へ戻ってきました。

しかし寛弘4年(1007年)、藤原伊周(これちか)・藤原隆家(たかいえ)兄弟の差し金で道長暗殺を謀ったとの風聞が流れます。

それから程なくして、世を去ったのでした。

道長四天王・藤原保昌(ふじわらの やすまさ)

月岡芳年「美談武者八景 洞院の秋月」

天徳2年(958年)生~長元9年(1036年)没

藤原道長・頼通父子の家司を務めた豪傑。後に恋多き女流歌人として知られた和泉式部を妻に迎えました。

彼女への求婚に際して、紫宸殿(ししんでん。内裏の正殿)から梅の枝を折ってきて欲しいとせがまれたそうです。

保昌は厳重な警備をかいくぐって梅の枝を奪取。まさに命懸けで求愛を実らせたのでした。

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