戦国時代になんとハーフの武将がいた!その風貌から「人鬼」と恐れられた戦国武将・和仁親宗と一族の悲劇 (4/6ページ)

Japaaan

父から人鬼と呼ばれる

龍造寺隆信/Wikipediaより

母を失った親宗は、幼少期より父に疎まれて過ごしました。

他の兄弟である長兄・和仁親実(わに-ちかざね)や三兄・親範と違い、「顔が赤く、目は光り輝き、手足は熊のごとく力強く、動きが俊敏」と異質な見た目だったことから実の父から人鬼と呼ばれていました

やがて、大友氏が衰退すると親続は龍造寺氏に従属します。そして、天正12年(1584)に龍造寺隆信が沖田畷の戦いで戦死すると、家督を譲られた親実は島津氏に仕えました。

その後は天正15年(1587)の九州征伐を経て、豊臣秀吉に仕えています。

肥後国人一揆の始まり

隈部親永/Wikipediaより

九州征伐後、肥後国は佐々成政の支配下に置かれました。肥後には52人の国人がおりましたが、成政は国人たちの同意を得ないまま検地を実施。

「戦国時代になんとハーフの武将がいた!その風貌から「人鬼」と恐れられた戦国武将・和仁親宗と一族の悲劇」のページです。デイリーニュースオンラインは、和仁親宗戦国武将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る