妻と妹の七光り?で大出世!蛍大名と呼ばれた戦国武将・京極高次の出世までの軌跡を紹介 (3/4ページ)

Japaaan

妹のおかげで近江の大名に

京極竜子/Wikipediaより

光秀や勝家が滅ぼされ、頼る先を失った高次でしたが、天正12年(1584)に転機が訪れます。それは妹の竜子が豊臣秀吉の側室となったことでした

竜子の嘆願のおかげで、高次は近江国高島郡2500石を与えられました。また、九州征伐の功績により1万石を与えられ大名に返り咲きます。

天正15年(1587)には長政の娘で従兄弟だった初を正室に迎えると共に、文禄4年(1595)に加増と近江の大津城の城主に命じられました。

高次は領地を失った京極家を一代で近江国(現在の滋賀県)の大名まで飛躍させました。

迷った末に選んだ関ヶ原の戦い

徳川家康/Wikipediaより

秀吉が没した後、徳川家康と石田三成の対立が表面化します。そして、上杉征伐が始まると高次は弟の高知を家康に同行させます。

「妻と妹の七光り?で大出世!蛍大名と呼ばれた戦国武将・京極高次の出世までの軌跡を紹介」のページです。デイリーニュースオンラインは、京極高次関ヶ原の戦い戦国時代豊臣秀吉カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る