あまりにも壮絶すぎる…13歳の実娘が切腹の介錯をした戦国武将・黒木家永の波乱に満ちた生涯 (3/4ページ)
家永は再度隆信に仕えますが、天正12年(1584)の沖田畷の戦いで隆信が討ち死にしてしまいます。隆信の突然の死に家中が動揺する中で、家永は離反することなく臣従を誓う起請文を送っています。
また、隆信の死を好機と見た宗麟は筑後を取り戻すために侵攻を開始。当然猫尾城も標的となり、1万2千の兵に包囲されました。
家永は2000に満たない兵数でありながらも龍造寺氏からの援軍もあり、防戦し続けていました。
この状況に焦った宗麟は立花道雪と高橋紹運を援軍に迎えます。2人は支城の高牟礼(たかむれ)城を守っていた家永の家臣・椿原式部に調略を仕掛けました。
椿原式部の裏切りを受け、家中は混乱すると共に2ヶ月間戦い続けていたこともあり、兵糧も尽き果てます。
もはやこれまでと見た家永は悲憤の思いを抱きながら潔く切腹を決めました。
